俳句の世界では、雷をどのように捉えているのでしょうか?
雷が鳴ると、豊作になるとも聞いたこともあります。
2つの季語をもとにして、紹介していきたいと思います。
今回は、「雷」・「稲妻」を季語として考えていきます。
季語としての「雷」の意味は?
「雷」は、夏の季語として使われています。
「神鳴」・「いかづち」・「はたた神」・「鳴雷」・「遠雷」など、実に多くの子季語を有します。
これだけ多彩な子季語があるのは、それだけ人々との生活に関わっていた証と言えます。
先人も次のような句を詠んでいます。
「雷のごろつく中を行々し」 小林一茶
この時代、夜道は本当に真っ暗だったと思います。
そんな中を進んでいかなければならい、不安な気持ちがよく伝わってきます。
擬音語に「ごろ」が使われているのには、驚きました。
すでにこういう表現があったんですね。
季語としての「稲妻」の意味は?
みなさん知っての通り空がひび割れるかのように走る電光のことを指して、稲妻と称します。
俳句の世界では、「稲妻」は、秋の季語として使われています。
雷の光が稲を実らせる、豊作になると信じられていました。
本来は「稲夫」と書いたようですが、古くは「つま」には「愛する人」という意味があり、
「夫」・「妻」の両方の意味を表していました。江戸時代には、今の表記が定着してしまったようです。
先人は次のような句を遺しています。
「稲妻にへなへな橋を渡りけり」 小林一茶
頼りない橋を、おそらく夕方くらいに一人で渡っているのでしょう。
不安定な橋と雷の閃光の対比が恐ろしさを際立たせます。ぞくぞくしてきますね。
まとめ
まさか雷がこれほど、生活の中に浸透していたとは思いもしませんでした。
おそらく先人たちも雷にいろんな思いを抱きながら過ごしていたのでしょう。