雷は私たちの文化的な側面にも影を落としています。
それほど昔からなじみの深い自然現象であったことを示しています。
そこで今回は、雷と季語、雷と季節について、それぞれ話していきたいと思います。
夏の季語、雷の意味は?
江戸時代の俳諧において雷は、神鳴(かみなり)、あるいは鳴神(なるかみ)の形で用いられることが多かったようです。
これに対し、現代俳句では、雷を音読みで「らい」と読ませる句が多い傾向にあるそうです。
現代俳句においても「はたた神」と言う雷の異称はよく用いられています。
その他に「いかづち」・「鳴雷」・「遠雷」など、実に多くの子季語を有しています。
これだけ多彩な子季語があるのは、それだけ人々との生活に密に関わっていた証と言えます。
先人も次のような句を詠んでいます。「雷のごろつく中を行々し」 小林一茶
この時代、現代のような街灯はなく行燈の灯だけが頼りで、おどろおどろしい中を旅している様子が表れています。
そんな中を進んでいかなければならい、不安な気持ちがよく伝わってきます。
夏の始まりと終わりに雷はつきもの?
これは先人が経験則で語られてきたことが広まりました。
農業に従事していた方々が自らの経験によって蓄えてきた知識の1つとして伝えられています。
夏の始まりとは、梅雨明けを意味しています。
梅雨明け頃の大雨を、送り梅雨と呼び、梅雨明け頃の雷は、梅雨雷と呼ばれています。
梅雨は、梅雨前線が太平洋高気圧に押し上げられることにより明けていきます。
その梅雨前線が北上すると、晴れの日が徐々に増え、上昇気流が発生しやすい気候になります。
温かく湿った空気を一気に取り込んだ上空では、次々に積乱雲が発生し、雷とともなった雨が観測されるようになります。
梅雨になる雷にもいくつか種類があり、梅雨明けを知らせるのは「熱雷」です。
熱雷は地面が熱せられて強い上昇気流が起きたときに発生します。
いつでも鳴るわけではなく、晴れの日の午後に発生するのが特徴です。
また、夏から秋に変わるとき、北から前線を寒気が押して雷をともない南下することがあります。
ですから、夏の終わりにも雷はつきものです。
まとめ
これほどまでに深く日本の文化に関わりがあるとは思ってもみませんでした。
プラスのイメージがない雷でしたが、少しだけ親近感を感じました。